女性性とは何か──男性性とのバランスという視点

男性性と女性性、そのバランスについて
「男性セラピストによる施術で、女性性が高まると言われることがあります」
けれど、そもそも女性性とは何なのでしょうか。
そして、なぜ“高まる”“取り戻す”という言葉が使われるのでしょう。今回は、女性性・男性性をスピリチュアルな概念ではなく、生き方や心身のバランスとして捉える視点 でお話ししたいと思います。
女性性・男性性は「性別」の話ではない
まず大切な前提として、女性性・男性性とは 肉体的な性別のことではありません。
これはひとりの人間の中に存在する、ふたつの性質 を表す言葉です。
- 男性の中にも女性性はある
- 女性の中にも男性性はある
「男性には男性性だけ」「女性には女性性だけ」
という単純な話ではありません。誰もが両方を持ち、状況に応じて使い分けながら生きています。
男性性とは「外へ進める力」
男性性の性質を一言で表すなら、果敢に行動し、前に進める力 です。
男性性が担うのは、たとえばこんな働き。
- 決断する
- 行動する
- 目標を立て、達成に向かう
- 論理的に考える
- 状況を前進させる
とても力強く、社会の中で生きるうえでは欠かせないエネルギーです。
ただし、この男性性が常にフル稼働しているとどうなるか。
- 疲れていても止まれない
- 休むことに罪悪感がある
- 感じる前に考えてしまう
そんな状態になりやすくなります。
女性性とは「内側を感じ取る力」
一方、女性性の性質を一言で表すなら、心や感覚を察し、受け取る力 です。
女性性が担うのは、
- 感じる
- 受け取る
- ゆだねる
- 共感する
- その場の流れを読む
という、とても繊細で静かなエネルギー。
誰かが悲しんでいれば、言葉より先に「何かあった?」と気づける力。
人の話を聞くとき、作業を止め、相手に向き合うことができる力。
ただし、女性性が過剰になると、
- 断れない
- 自分の気持ちを後回しにする
- 人に合わせすぎて自分が分からなくなる
といった生きづらさが生まれることもあります。
大切なのは「どちらが強いか」ではなく「バランス」
男性性も女性性も、どちらが良い・悪いというものではありません。
問題になるのは、バランスが偏ったとき。
男性性に偏りすぎれば、成果は出ても心が置き去りになる。
女性性に偏りすぎれば、やさしくても人生が前に進まなくなる。
私たちが心地よく生きるためには、今の自分にどちらの力が必要かを感じ取れること。それ自体がとても大切です。
現代女性は、男性性が強くなりやすい
現代は、女性が社会の中で活躍することが当たり前になりました。それ自体は、とても素晴らしいことです。ただ、その一方で多くの女性が 無意識のうちに男性性を使い続けている ようにも感じます。
- 効率
- 成果
- 正解
- 役割
それらを優先するあまり、「私は今、どう感じている?」という問いを置き去りにしてしまう。その結果、ちゃんと頑張っているのに、なぜか満たされない。何が幸せなのか分からなくなる。そんな状態に陥ってしまう人も少なくありません。
触れられることで、女性性は思い出される
女性性は、「考えて高めるもの」ではありません。感じることで、自然と思い出されるもの です。
- 安心して身を委ねる
- 評価されない時間を過ごす
- 何もしなくても受け取っていいと知る
そうした体験の中で、女性性は静かに息を吹き返します。
”触れられること”は、そのためのとても分かりやすい入り口。
身体が緩むと、
思考が止まり、
感覚が戻ってくる。
それは決して「誰かに依存すること」ではなく、自分の内側に戻ること なのだと思っています。
バランスが整った状態とは
男性性と女性性のバランスが取れているとき、人はこんな感覚を持ちます。
- 行動できるけれど、無理はしない
- 決断できるけれど、冷たくならない
- 人を大切にしながら、自分も大切にできる
外へ進む力と、内側を感じる力。
その両方が揃って、はじめて人生はしなやかに進んでいきます。
おわりに
女性性とは、特別な能力でも、失われた何かでもありません。忙しさの中で、少し忘れていただけ。
もし最近、
頑張っているのに満たされない
理由は分からないけれど疲れている
何かを感じにくくなっている
そんな感覚があるなら、それは「女性性が足りない」のではなく、静かに休む場所を求めているサイン かもしれません。取り戻すのは、女性性そのものではなく、自分を感じる時間。
そのことを、このJOURNALを通してそっと思い出してもらえたら嬉しいです。

