誰かの期待を生きるのをやめたら、人生が動き出す

私たちは知らず知らずのうちに、「こうすべき」「こうあるべき」という期待の中で生きています。

親の期待、職場での役割、パートナーや友人の目線…。

気づけばその“期待”が、自分の選択の基準になっていることも多いです。

けれど、それは本当に自分の人生でしょうか?

誰かの期待を生きているうちは、どれだけ頑張っても「満たされない」という違和感が心の奥に残ります。

誰かの期待を生きることは、安心でもある

「期待に応える」という生き方は、一見とても安全です。誰かに認められる。褒められる。役に立てる。

そう感じられるとき、私たちは一瞬、存在を肯定された気がします。けれどそれは、“他人の基準の中で得る安心”。その安心を積み重ねても、いつか心が疲れてしまう。

なぜなら、自分の本音や望みを置き去りにしているから。


人生が動き出す瞬間は、「違和感」に気づいたとき

本当の意味で人生が動き出すのは、“違和感”を無視できなくなった瞬間から。

「本当はもう頑張りたくない」
「誰かの期待に応えるより、自分のリズムで生きたい」

そう心の中でつぶやいたとき、それは“魂の方向転換”のサインです。

誰かの人生を生きるのをやめたとき、止まっていた時間が、また動きはじめます。


私の人生が自分の意思で動き出した時

私自身、振り返るとあの時から自分の人生が動き出したと感じる時期があります。

私は大学を卒業して、いわゆる大企業といわれる会社に入社しました。ですが、正直「この人のようになりたい」と思う人は私にとっては一人もいませんでした。むしろ4年半勤めましたが、最後は毎日会議室に缶詰にされて2時間怒鳴り続けられるという、今だったら一発でパワハラと言われることを上司にされ、それをきっかけに退職を決意しました。

親からは「せっかく大企業に就職したのにもったいない」と言われましたが、私にとっては何の未練もなく、「次はカメラマンか柔道整復師になろう」。そう決めて知り合いのカメラマンと柔道整復師の方の話を伺って、自分の意思でこの道に進もうと決意しました。

当時はカメラマンではないものの、Web制作というクリエイティブな世界に飛び込みましたが、今では一周回って柔道整復師ではないものの、からだのケアをすることをしています。(遠回りをしたようで、全てがつながって今があるように感じています)

新卒で就活をした時は、自分のためというよりも「これなら親も喜ぶだろう」という想いが強かったんだろうと、今となっては思います。

自分の人生を取り戻す3つのステップ

私自身も誰かの期待に応えようと、自分の人生を生きれていない時がありました。でも以下のステップで、自分自身で意思を持って決断をして、自分の人生を取り戻すことができました。

STEP
“誰の期待に応えようとしているか”を書き出す

→ 無意識のうちに背負っている「こうあるべき」を可視化する。

STEP
それは本当に自分の望みか?と問いかける

→ 「本当はどうしたい?」を自分に聞いてみる。

STEP
小さな“自分の選択”をひとつしてみる

→ 朝の過ごし方、服の選び方、休日の使い方。 たとえ小さくても、自分で決めることが“人生を動かす”最初の一歩。


おわりに

誰かの期待を生きることをやめるのは、“誰かを裏切ること”ではありません。

人生を動かすのは、特別なチャンスでも、大きな変化でもなく、「自分の声をもう一度信じる」という小さな決意です。一度きりの人生。そして人生は自分のもの。どうせいつか死ぬわけですから、せっかくなら他人の人生ではなくて、もっと自分が生きたいようにもっとわがままに生きても良いのではないでしょうか。