自由に生きるって?オーストラリアで見た自由な生き方

「自由に生きたい」

そんな言葉を、私たちはよく耳にするようになりました。
昔のように「結婚して家庭に入るのが当たり前」でもなければ、
「女性はこうあるべき」という社会の押し付けも、少しずつ薄れてきた現代。

キャリアを築くのも、結婚をしない選択をするのも、子どもを持たない人生を選ぶのも、すべて“自由”。

だけど──。

自由に生きていいと言われても、
本当に自由になれたかと言えば、きっとそうではない。

自由に迷い、自由に孤独になり、
どこかで「これでいいのだろうか」と不安になる私たちがいます。

そんな中、私がオーストラリアで見たのは、
もっとしなやかで、芯のある自由でした。

今日は、私が感じた「本当の自由」について、少しだけお話しさせてください。


目次

1. 選択肢が多い=自由じゃない


冒頭でお話した様に以前の「女性はこうあるべき」は、ここ十数年で徐々に薄れてきたのではないかと思います。

でも30〜40代の人の親世代の中には、
その考えが今も根強く残っている方も多いかもしれません。

そういった家庭で育った人は特に”あるべき女性の姿”に近づこうと思ってさまざまな選択や努力をしてきたけれど、

世の中は徐々に「好きな生き方を選んでいい」といった風潮になってきて、戸惑う人もいるかもしれません。

昔のように、結婚して専業主婦になるのが当たり前でもない。
子どもを産むか産まないかも、働き方も、住む場所も──
すべて自由に選んでいいよ、と。

でも、その自由を手にした今、
本当に生きやすくなったかといえば、
むしろ「迷い」と「孤独」が増えたと感じる人も多いのではないでしょうか。

選択肢が増えた分、正解がわからない。
どれを選んでも、何かを手放すことになる怖さがある。

たとえば、キャリアを優先すれば、結婚や出産は後回しになるかもしれない。家庭を選べば、仕事のキャリアアップをあきらめなければならないかもしれない。

そして、どちらを選んでも、
「本当にこれでよかったのかな」
「もっと別の道があったんじゃないかな」
と、心のどこかで揺れる。

選択肢が多いことは、決して「楽な生き方」ではありません。
むしろ、自分で選び取る覚悟がなければ、
その自由は、重たく、苦しいものにもなってしまうのです。

だからこそ、

「何を選ぶか」よりも、
「どんな基準で選ぶか」が、大事になってくる。

そしてそれは、
他人が決めてくれるものでも、
社会が示してくれるものでもありません。

自分の内側にしか、答えはない。

次の章では、私がオーストラリアで出会った、内側にしっかりとした軸を持ちながら自由に生きる人たちについてお話したいと思います。


2. オーストラリアで見た、“芯”のある自由

オーストラリアで暮らしていたとき、
私が驚いたのは、人々の「自由の在り方」でした。

そこには、誰かの顔色を伺ったり、
世間の目を気にしたりする空気が、ほとんどありませんでした。

たとえば、
年齢に関係なく大学に通い直す人がいたり、
都会を離れて自然の中でスローライフを選ぶ人がいたり、
結婚をしない、子どもを持たない人生を楽しんでいる人たちもたくさんいました。

そして、彼らに共通していたのは──

「私はこれが好きだから、こう生きる」
という、自分の内側から湧き上がる意思を、
とても大切にしていることでした。

誰かに褒められたいからでもなく、
誰かに認められたいからでもない。

たとえ周りから「それって失敗じゃない?」と言われたとしても、
「うん、これが私の選んだ道だから」と笑っていられる。

そんな、“芯”のある自由を持って生きている人たちの姿に、
私はとても強く、しなやかな美しさを感じました。

自分の選択を、成功や失敗という結果だけで評価しない。

自分で選び、自分で引き受ける。
だから、後悔しない。

日本にいると、どうしても
「間違えないように」
「後悔しないように」
選択を慎重に慎重に選び取ろうとしてしまいます。

でも、オーストラリアで出会った人たちは、
選ぶこと=生きることそのもの
という感覚で、毎日を楽しんでいました。

自分の内側に一本、しっかりとした軸を持って。

彼らを見ていると、
「ああ、本当の自由ってこういうことなんだ」
と、心から思ったのです。


3. 日本の自由とオーストラリアの自由の違い


日本も、昔に比べればずっと自由な国になりました。

結婚する・しない。
子どもを持つ・持たない。
会社員を続ける・フリーランスになる。

さまざまな選択肢が用意されていて、
それを選ぶ権利は、確かに私たちの手にあります。

でも、オーストラリアで感じた自由と比べると、
日本の自由はどこか「正解探し」に近いと、私は思いました。

日本では、
「どの選択肢を選べば、より間違いが少ないか」
「どれを選べば、より後悔しないか」
「どれが世間的に見て、評価されるか」

そんなふうに、“正解”を探しながら選択する空気が、まだ根強く残っています。

一方、オーストラリアでは、
「自分がどうしたいか」を基準に、素直に選ぶ人が多い。

結果がどうであれ、
「私はこれを選んだ。それでいい。」
そんなふうに、自分で自分の選択にOKを出せる強さを持っていました。

選択に正解はない。
成功か失敗かは問題じゃない。

大切なのは、自分の意志で選ぶこと。
そして、選んだ道を愛すること。

この違いが、
「自由でありながら、なぜか苦しい」日本の私たちと、
「自由をしなやかに楽しんでいる」オーストラリアの人たちとの差なのかもしれない、と感じたのです。


【まとめ】本当の自由とは、自分の人生を引き受ける覚悟


「自由に生きる」とは、
何でも好きに選べることではありません。

本当の自由とは、
自分の意志で選び、その結果を引き受ける覚悟を持つこと。

オーストラリアで出会った人たちは、
誰かに決められた道を歩くのではなく、
自分で選び、自分で歩き、自分で愛していました。

もちろん、失敗することもあるでしょう。
思った通りにいかないことも、たくさんあるはずです。

それでも、彼らは言うのです。
「だって、自分で選んだ人生だから」

自分の内側に一本、しなやかな軸を持ち、
どんな結果も受け止めながら、前に進んでいく。

そんな自由を、私たち日本の女性たちも、
少しずつ、手にしていけたらいいなと思います。

あなたは、自分の人生を、誰のために歩きたいですか?

そして、本当は、どんな人生を選びたいですか?

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